人生の最後に待ち受ける死 アキラメるのはまだ早い

私たちの人生におけるもっとも大きな問題は「死」であり、最も恐れているものも「死」であるということについて、冷静に考えれば、異論を唱える人は少ないと思います。あまりに大きな問題であるために先送りにしがちであり、パスカルも「人間は、死と不幸と無知を癒すことができなかったので、それらを忘れることにした」と言っています。しかし、忘却は解決になりません。忘れるのではなく、「死」をじっくりと見つめてみたいと思います。

なぜ「4」を避けるのか わたしたちは死を恐れ「4」を恐れている

全ての人は死を恐れ、忌み嫌っています。元気な時は「死なんて怖くないよ」と言っている人でも、重病を患ったり、事故で重傷を負った時には病院へ行きます。痛いのが嫌だから、というだけではないでしょう。痛み止めだけ打って放置されたら「死んじゃうよ!」と悲鳴を上げるはずです。病院に治療に行くのも死にたくないからです。

忌み嫌う死は、目にする、耳にすることさえ避けようとします。車のナンバープレートに「し」が使われることはありません。音が「死」を連想させるからです。現在は衛生上の問題で入院している人のお見舞いに花を持っていくことはなくなりましたが、持っていっていた頃は、シクラメン・シネラリアは「シ」という音が入っているためNGとされていました。
同じく「4」も、音で嫌われます。病院だけでなくマンションやアパートでも4号室がないことがあります。私の家の近くのコインパーキングも4番がありません。国内線で4番の座席が無い飛行機もありました。「4」がつく場所にいると、死ぬ確率が上がるような気がするのかもしれません。

しかし、言ってしまえばこれらは全て迷信です。4番のパーキングに停めた車だけが事故に遭うのでしょうか。墜落したら4番の座席の乗客だけ死んでしまう、そんな器用な墜ち方があるでしょうか。また、4を忌み嫌っていながら、4つ葉のクローバーは縁起が良いと喜んでいます。はたして4は悪いのか良いのか実にいい加減なものです。

それでもやはり「し」「シ」「4」となると大体の場合あまり良い気がしないのは、自分の確実な未来である「死」を恐れている表れではないでしょうか。

奥底にある「死を恐れる心」

「4」だけではありません。「ガンが怖い」「地震が来たらどうしよう」「近くで通り魔が出たらしいよ」「会社の経営が悪化してる!」「どこそこの国との緊張が高まっている」「飛翔体が…」「食品添加物が…」
なぜ、これらは恐怖をかき立てるのでしょう。

盲腸を患うと激痛が走りますが、ガンと盲腸なら盲腸の方がまだマシに感じるのはガンが死を強く意識させるからではないでしょうか。地震や伝染病やミサイルに恐れおののき、それらがニュースに取り上げられ、国を挙げて対策を講じるのは、多く人の命に関わることだからです。つまり、これらの問題の根底には死があるのです。

もちろん病気や天災、人災の問題解決に全力を挙げて取り組み、少しでも死を遠ざけようとするのは大切なことです。しかし、根底にある死そのものにきちんと向き合っているでしょうか。「そればっかりはね。どうしようもないよ」とアキラメ、嫌なものには蓋をして見ないようにしている人がほとんどです。死が恐ろしいから死因になりそうなものには片っ端から対処しているのに、死そのものには対処しない。私たちの行動は大きな矛盾を抱えています。

きちんと死と向き合う

死を恐れるのは、情けないこと、恥ずかしいことではありません。恐れるべきことを恐れるのは当然であり、恐れるからこそ適切な対処もできるようになります。迫り来る車のタイヤに挑みかかるカマキリがいれば、それは勇敢なのではなく恐ろしさが分からない無謀な行動です。先に挙げた様々な病気や天災、人災の問題に対するのと同様に、死のことも正しく知り、正しく向き合うことが大切です。死を真面目に見つめることは、生きている今を充実させることにもなりますので、また別の記事で詳しく述べたいと思います。

皆さんのまわりにも「あれ?ここ4がない」という場所はありますか。意識してみると結構見つかりますよ。見つけたら是非コメントしてくださいね。

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