他人の目が気になって不安なときに前向きになれる先人の言葉

人と接したとき「さっきの自分の言動、大丈夫だったかな。変に思われたかな?」と不安になってしまう。そんな悩みを持っている学生さんもいるかもしれません。特に入学したて、進級したての4月は新しいクラスメイトや、サークルの先輩、ゼミの先生とうまくやっていけるかなと気持ちが暗くなることも。気にしたくないのに、どうしても気になってしまう他人の目。しかし、人の目を気にして自分の言いたいことが言えなかったり、やりたいことができなかったりするのはもったいない気がします。そこで今回は、他人の目を気にしてビクビクしてしまったときに、「そうだ!自分は自分だ」と前向きになれる先人の言葉を紹介したいと思います。くわえて、なぜ人の目を気にしてしまうのかもアカデミックな観点から迫ってみたいと思います。

◆目次◆
・人は生まれながらに他人に認められたいという欲求を持っている
・他人の評価は実はいい加減「昨日の友は今日の敵」の実態
・他人がどう評価してもそもそもの自分の価値は変わらない
・先人の言葉を知って他人の評価を冷静に正しく受け止めよう

人は生まれながらに他人に認められたいという欲求を持っている

認められたい、嫌われたくないという心に振り回されている感じがして 「他人の目を気にする心がなくなれば、どんなに楽だろう」と思っている人もあるかもしれません。私も、他人の目になんて気にしないで楽に生きたいと思ったことがあります。

この他人の目を気にする心、認められたい、嫌われたくないという心をなくし、振り回されずに生きることはできるのでしょうか。結論からいうと、なくすことはできません。心理学者であるアブラハム・マズローが人間の根源的な欲求のうちの1つとしてあげているように、人間なら誰しも持っていて、生きている限りこの欲求から離れることはできないのです。

一生付き合っていくしかないのですが、どうやったらこの欲求と上手く付き合っていけるのでしょう。まずは、私たちが気にしている他人の評価の実態についてみてみましょう。

他人の評価は実はいい加減「昨日の友は今日の敵」の実態

他人からの的確なアドバイスや意見というのは受け取って自分の成長のために使うといいのですが、必要以上に振り回されないために、他人の評価の実態というものも知っておきましょう。

その実態をあらわしたのが「昨日の友は今日の敵」という言葉です。これには全く反対の言葉「昨日の敵は今日の友」もあります。昨日までは仲のよかった友達も、今日は敵になって憎みあうことがある。反対に、昨日は敵どうしでも今日は友だちの間柄になることもある。そのように、人間の関係はうつろいやすいということを言っています。

歴史上、仲間や部下に裏切られて命を落とした武将もありますし、長くいがみ合っていた国どうしが協力関係になったこともあります。特に利害が絡むと、友が敵に、敵が友に関係がひっくりかえることがよくあります。昨日までの仲間が今日は自分を裏切り、昨日まで敵対していたものと今日は仲良く手を取り合っているということはよくあることです。

なぜそんな180度の方向転換が起きるのでしょう。それは、人が誰かを評価するとき、そこにはその人の「都合」が入っているからです。大学でよい先生とはどんな先生ですかと学生にきくと、「出席を取らなくて、授業に出ていなくても単位がもらえて、テストが簡単な先生」と返ってくることがあります。逆に、出席を毎回とり、テストも難しく、点数が足りなければ容赦なく落とされる先生は鬼教官といわれ嫌われます。しかし、よく考えてみると学生にその学問の知識を身につけさせる教育者としてよい先生は、厳しい先生の方ではないでしょうか。学生の評価には「楽に単位をとりたい」という学生の都合が入っていることがわかります。

このように、いい評価にも悪い評価にも、評価にはその人の都合が入っているのが実態なのです。社会で生きていく以上、自分自身も他人に評価されます。自分を好きだと言ってくれる人もあれば、嫌いだと言われることもあるでしょう。明らかに自分に落ち度があれば正さないといけませんが、相手の都合によって良くもなれば悪くもなるため、悪く言われたからといって必要以上に落ち込む必要はありません。逆に良く言われたと舞い上がっていると痛い目にあうこともあるので注意が必要です。

他人がどう評価してもそもそもの自分の価値は変わらない

警察官を見かけたときのことを例に考えてみましょう。自分の住む町で不審者が出たという情報があったときに警察官を見たら「パトロールしてくれているんだ」と町の安全を守るヒーローに見えるでしょう。反対に、あなたが車や原付バイクを運転しているときに、警察官を見たら「また取り締まりか」と自分を捕まえにきた悪の権化のように映ります。

町をパトロールするのも、交通違反を取り締まるのも、どちらも警察官の仕事であり、警察官は職務を果たしているだけです。ヒーローに見えようが、悪の権化に見えようが、警察官は警察官です。

同じように、他人の目によく映っても悪く映っても、私は私です。そもそもの私というのは他人の評価で変わるものではないのです。

先人の言葉を知って他人の評価を冷静に正しく受け止めよう

他人の評価の実態をよくわかっていたのが、禅僧一休です。彼の詠んだ歌があります。

今日ほめて 明日悪く言う 人の口 
泣くも笑うも ウソの世の中

一休

今日はあなたのことを「大好き!」とほめていても、明日になると「こんな人だったなんて、大嫌い!」と悪く言う、他人の評価とはそういうものだということです。昨日と今日であなた自身が何が変わったわけではありませんが、評価はころころと変わってあてになりません。そんなあてにならない人の口にふりまわされて「悪く言われた」とガックリ肩を落とすこともないですし、逆に「ほめられた」と言ってどっぷりといい気分に浸っているのも馬鹿なことですよと一休は言っているのです。

他人の目を気にしてビクビクしてしまうときには、この先人の言葉を思い出して「自分は自分だ」と冷静になってみましょう。その上で、改善すべきところがあれば改善し、そのままでいいところはそのまま自分らしくいればいいのです。

他人の評価に振り回されるのではなく、冷静に正しく自分の姿を見ていきましょう。今日の内容は動画でも試聴できますので、よかったら見てみてくださいね。

【動画】周囲の目をきにしすぎているあなたへ
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