ボランティア活動をする学生が増加中 みんながぶつかる壁とは?

近年、ボランティア支援室を設置する大学が増えています。
ボランティアセンターやボランティアステーションなど大学によって呼び名は違いますが、ボランティアをやってみたいという学生を支援しています。
「人の役に立ちたい」「就職活動の一環として経験したい」「職業体験として」など思いは様々でしょうが、大学でボランティアデビューをする人が増えています。
人のために自分ができることを精一杯することはとても素敵なことですし、活動を通してボランティアに生きがいを見出す人もあるでしょう。
反面、実際にボランティアをやってみて大きな壁にぶち当たったという声も聞かれます。それはどんな壁なのか、関西の大学に通う学生の実例をもとに見ていきましょう。

大学でボランティアサークルに入部 ぶち当たった「自己満足」という壁

私は大学に入ってボランティアサークルに入り、小さな町の養護施設にサークルのメンバー8名と一緒に訪問しました。
貧困のため、家族と暮らせない子供たちが集まる養護施設でした。
施設の子供たちとはすぐ仲良くなれました。
私が手を差し伸べると、子供たちが手を繋ごうとして、わっと寄ってきました。
子供たちは愛情に飢えているんだと感じ、少しでもこの子たちの力になりたいと思いました。一人一人の子供たちが可愛く、大切に思いました。
私自身も、自分が必要とされている幸せを強く感じた瞬間でした。
この喜びを味わいたくてボランティア活動に熱心に取り組むようになりました。

その中でふと気がついたことがあります。
「ボランティアって、結局、自己満足なんじゃないか」ということでした。
なぜそう思ったかというと、次にどの活動に参加するかを決めるとき、自分が満足できるもの、自分にとって役に立つものをと自分の都合を基準に選んでいたからです。
教育系の仕事に就きたいから、お年寄りよりも子供と関われる活動の方がいい。海外でボランティアをした経験がある方が、就活での自己アピールに使えるかな。しんどいのは嫌だなと、困っている人よりも自分を優先していることに気付いたのです。

さらにボランティアサークルの現実も、気落ちに拍車をかけました。
私のボランティアサークルには上部団体があり、サークルなので4月には新入生を勧誘するのですが、その人数が少ないと上部団体の大人に叱られるのです。
そうならないように、キャンパスで一生懸命新入生に声をかけましたが、一体、誰のために勧誘しているんだろうと思わずにおれませんでした。
ボランティアは困っている人のための活動であるはずなのに、サークルのため、自分のためになってしまっていたのです。

他人のために善いことをすると、我がままな自分の心が見える

そんな悩みを抱えていた時、仏教の言葉で「雑毒善」というものがあることを知りました。
ボランティアをしてみて「結局、自己満足のためにしてるのかな」と感じた自分の気持ちとぴったり一致して驚きました。
「雑毒善」とは、毒の混じった善ということで、「毒」とは見返りを期待する心のことだそうです。

こけ【虚仮】
仏教用語うそいつわり真実対す)。内心外相とが違うこと。凡夫が行善行は、我執迷いを交えているので、虚仮雑毒善といわれる

中経出版『世界宗教用語大辞典』(こけ【虚仮】)

就職に有利だとか、自分の将来のためなど、自分へのリターンを優先してしまって、純粋に相手のことだけを思って行動できないのも「毒」ですし、「ありがとう」とお礼を言われないと何だか落ち着かないのも「毒」です。「これだけしてやった」と恩着せがましく鼻にかけるのも「毒」です。

例えば、電車で席を譲ったのに、一言のお礼もなかったらどうでしょう。
「席を譲ってもらって、礼の一つも言えないのか」と相手の態度を責める心が出てこないでしょうか。
そういう気持ちになるのは普通じゃないかと思うかもしれませんが、本当に相手のことだけを思って行動していたのなら、相手の態度に左右されることはないはずです。
それなのに、お礼がなければどこか不満に思ってしまうのは見返りを期待しているからです。そういう心が混ざった善だから「雑毒善」と言われているのです。

この言葉を知ったとき、他人のためにしているように見えて、本心では自分が褒められたい、認められたいと思ってやっている。自分の不純な心を言い当てられた気がしました。
ボランティア活動を通して、人間の善意の限界を感じたように思います。

自分の心と向き合ってみよう

以上のように、ボランティア活動に打ち込んだ学生さんが活動を通して感じた気持ちを教えてくれました。
自分の汚い心が見えて悩んでしまうなら、ボランティアはしない方がいいのでしょうか。当たり前ですが、それは違います。
困っている人を支援する活動は、人と人が一緒に生きていくために必要なものです。

では、自分勝手な心が見えて思い悩んでしまうときはどうしたらいいのでしょう。
実は、そういう心が見えるのは悪いことではないのです。
なぜなら、自分の心を知ることと、心の底から満足のいくものを見つけることは無関係ではないからです。
自分の心の毒に気がついたということは、確実に一歩前進しているのです。
自分の心とまっすぐに向き合うことと心からの満足ということについて学んでいきましょう。

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