「自分だけは大丈夫」が命取り!みんなが陥る正常性バイアスの罠

新型コロナウィルスが感染拡大しましたが、人類は昔から感染症と戦ってきました。かつてペストが猛威をふるったことがあります。それを描いたのが、ノーベル文学賞を受賞したフランスの作家アルベール・カミュの小説『ペスト』です。

カミュの生まれ故郷でもあるアルジェリアの町オランを、伝染病ペストがおそいます。
ロックダウンされ、外部との連絡をたたれた町の人達の心理と医師リウーの奮闘が描かれます。14世紀に起きた大流行では当時の世界人口4億5000万人のうち22%にあたる1億人が亡くなったと推定されている病です。

しかし、病気が流行し始めた当初は多くの人が普段と変わりない生活を営み、劇場に足を運んだり、バーやカフェで団らんを楽しんでいました。その後、感染が広がり、街から人影が消えました。

流行し始めた頃は、危機を正しく認知できなくなる「正常性バイアス」が働いていたのではないかと思われます。これに陥ると、危機への対処が送れ、手遅れになることがあります。

今回は、普段は見えなくなっている「本当の危機」に目を向けて、最優先で対処しなければならないことは何かを学んでいきましょう。

私たちは「危機」を察知できていない

「正常性バイアス(normalcy bias)」とは何か簡単に触れておきましょう。人間が予期しない事態に遭遇したとき、「ありえない」という先入観や偏見(バイアス)が働き、「大丈夫」と物事を正常の範囲だと自動的に認識する心の働きを言います。

ストレスを回避のための働きなのですが。「正常性バイアス」が度を越すと、深刻な事態を招きます。一刻も早く逃げねばならない非常事態なのに、その認識が妨げられます。結果、対処が遅れ、生命を危険にさらすことになります。

近年は大雨による災害が頻発していますが、平成29年の北九州豪雨は39名の方が亡くなり、309棟が全壊、1103棟が半壊という大きな被害をもたらしました。平成30年7月の西日本の豪雨では224名の方が亡くなり、住宅の全壊は6785棟、半壊は10878棟と甚大な被害となりました。この時も正常性バイアスにより、逃げ遅れた事例があったと言われます。

ニュースを見聞きして、被害の大きさや危険性を知っていても、その危機が本当に自分に起こるとはなかなか思えないのが私たちです。平穏な日常が続いて欲しいという願望があり、その願望がそのまま自分の思いとなり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」と都合の悪い情報は見えなくなってしまいます。

都合のよいことは自分に起り、都合の悪いことは他人に起こると思ってしまう性質が私たちにはあるようです。

身の周りに「危機」は溢れている

日常生活で学校や仕事に出かけるとき、無事に帰宅できることを疑っている人はほとんどありません。授業が終わったら、仕事が終わったら、家に帰ってあれをしよう、これをしようと家に帰れることは当然のこととして考えていると思います。
「今日の帰りに交通事故に遭うかも」「雷に撃たれるかも」と心配している人はないでしょう。

しかし、実際の確率を調べてみると、以下のようになっています。

自動車事故で死ぬ確率     1/10,000  (1万分の1)
飛行機が墜落する確率     1/200,000 (20万分の1)
雷に撃たれる確率     1/10,000,000(100万分の1)

ちなみに、宝くじの1等が当たる確率が1/10,000,000(100万分の1)です。雷に撃たれる確率とほぼ同じです。宝くじに当たるよりも、自動車事故や墜落事故に遭う確率の方がはるかに高いことがわかります。

身の周りにいくらでも危険は潜んでおり、いつ自分がその当事者になってもおかしくないのですが、自分がその何万分の「1」になるとは思えないのです。

私たちの一番の「危機」は何か

バイアスがかかって「危機」が見えなくなる私たちですが、見落としてはならない一番の危機とは何でしょうか。それは「死の危険」です。

なぜ死の危険が一番の危機かというと、私たちが真剣に対策に取り組む「危機」に共通していることが「死の危険」だからです。 「二度と事故が起きないようにはどうしたらいいか」「防波堤の高さを何メートルにすれば安全なのか」「感染防止のために手洗いうがいを徹底しよう」と対策するのは、死の危機を避けるためです。死ぬ危険がないならば、時間をかけて話し合うことも、多額の予算をかけることもないでしょう。

では、私たちは一番の危機ときちんと向き合っているでしょうか。「いつか死なねばならないことはわかっているけど、今日や明日は大丈夫」と思い込んでいないでしょうか。

多くの人の死を目の前で見てきた医者が、いざ自分に臨終が迫ったときに、「今まで人のことだと思っていた。俺が死ぬのか。こいつはたまらん」と言ったそうです。人が亡くなっていくのを目にする機会の多い医者であっても、自分の死とは向き合っていなかったという告白です。

「自分は大丈夫」「まだ大丈夫」 と思い込んでいる間に、確実に危機は近づいてきています。すぐ傍まで来て「しまった。何も考えていなかった」では対処ができなくなってしまいます。

死の不安によって失われてしまう日常の輝き

カミュの小説『ペスト』 には次のような一節があります。

幸福だった季節のその銅色の輝きは失われてしまった。
ペストの日ざしはあらゆる色彩を消し、あらゆる喜びを追い払ってしまったのである

カミュ『ペスト』

新型コロナウィルスの感染拡大により、これまで私たちの日常を彩っていた楽しみは、そのほとんどができなくなってしまいました。大規模なイベントもそうですし、友達と会ってお茶をするということもできなくなっています。

ウィルス自体も怖いですが、「感染して命を落とすかもしれない・・・」という死への不安によって、日常の楽しみは消えてしまうのです。 死の影が忍び寄ると、どんな喜びもその輝きを失ってしまいます。

しかしここで考えてみたいことがあります。私たちがまだ日常を楽しめていたとき、人は死んでいなかったでしょうか。先にも述べましたが、私たちの回りにはウィルス以外にも命を脅かす危険がひそんでいます。悲しいことですが、日常を送れていたときも、事故や災害、病気などで人は亡くなっていました。

では、なぜ今ほど不安を感じていなかったのでしょう。まさにバイアスがかかった状態だったのです。死への不安がなかったのではなく、見えていなかっただけなのです。本当はウィルスの影響を受けている今と同じように、不安を抱えたまま日常を送っていたのです。

日常生活がいつものように送れないことは大変なことですが、見逃していた死の不安に気付くことができる貴重な機会かもしれません。

誰もが向き合うことになる問題

アメリカの女優アンジェリーナジョリーは遺伝子検査を受け、乳がんになる確率が87%と診断され、手術を決断し、ガンにかかる確率は5%に下がったといいます。女優という人並み以上に外見に気をつかう職業の人が、体にメスを入れるという大きな決断をしたのも、死への不安からと言えるでしょう。

死は特定の人だけでなく、誰もが向き合うことになる問題です。その不安は、日常の輝きをすべて消し去るほど大きなものです。「今日、明日は大丈夫」と思い込み、死と向き合わずにいれば、しっかりと対処できず、手遅れになってしまうかもしれません。

カミュは『ペスト』を次のような言葉で閉じています。

ペスト菌は死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、
家具や下着類の中に眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉や
トランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、
そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが
再びその鼠どもを呼びさまし(作中でペスト菌はネズミを媒介して人に感染する)
どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差向ける日がくるでろうということを。

カミュ『ペスト』

新型コロナウィルスの感染が終息したとしても、ウィルスは生き続けます。そのため、 「Afterコロナは来ない、Withコロナだ」と言う人もあります。私たちのすぐ近くに危機は潜んでいます。私たちは死の危険と常に隣あわせで生きているのです

永遠に生きていられるなら、死と向き合う必要はありませんが、私たちには100パーセント確実に、嫌でも向き合う日がやってきます。巨大地震がいつ起きてもいいように備えておくのと同じで、死についても、まだ危機が迫らないうちから備えておく必要があるのではないでしょうか。

実は死の不安の中で生きていたんだと気付くことができた今、未来の危機と向き合い、対処することが大事ではないでしょうか。どう対処すればいいのか、続きを学んでみてくださいね。

まとめ

危機が本当に自分に起こるとはなかなか思えないのが私たちです。平穏な日常が続いて欲しいという願望が、自分の思いとなり、「自分は大丈夫」と都合の悪い情報は見えなくなってしまいます。都合の悪いことは他人に起こると思ってしまう性質が私たちにはあるようです。

バイアスがかかって「危機」が見えなくなる私たちですが、見落としてはならない一番の危機とは何でしょうか。それは「死の危険」です。

日常生活で死の危機を感じないのは、死への不安がないからではなく、見えていないだけなのです。新型コロナウィルスをきっかけに、本当は死の不安の中で生きていたんだと気付くことができた今、未来の危機と向き合い、対処することが大事です。

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