悔いのない人生を送るためのたった1つのポイント「最優先を見極める」

「どうしてこんなことに大切な時間を費やしてしまったんだろう…」と後悔に暮れた経験がないでしょうか。例えば、定期テスト前、ちょっと休憩と思って読み始めたマンガ。最初は1巻だけと思っていたのに、ついつい夢中になって気付いたら全巻読破していたなんてことありますよね。ふと我に返って「しまった!!こんなことしてる場合じゃなかった!」と後悔する羽目に…。

後悔とは「後に悔いる」と書くように、取り組んでいる最中は楽しくて充実していて「これで間違いない!」と固く信じている人がハマるタチの悪い落とし穴です。テスト前のマンガなら頑張れば挽回できますが、一度きりのやり直しのきかない人生でこの落とし穴にハマると大変です。どうすれば落とし穴を回避できるのかを有名な寓話『アリとキリギリス』に学びたいと思います。

目次
 ・楽しかったはずの過去が後悔に変わる
 ・人生を後悔するのは最優先すべきことを置き去りにしているから
 ・最優先で人生最大の問題と向き合う

楽しかったはずの過去が後悔に変わる

イソップ寓話の『アリとキリギリス』知っている人も多いと思いますが、簡単にあらすじを振り返りたいと思います。

夏、炎天下でアリは真面目に働いています。一方キリギリスは歌と楽器に興じ、遊び暮らしていました。そしてアリに対して言い放ちます。「こんなにいい天気なのに、何を真面目くさって働いているんだい?もっと夏を楽しまなきゃ」と。

やがて夏が終わり、秋も去り、冬が到来しました。貯えの無いキリギリスが路頭に迷っていると、アリの家を見つけました。暖炉には明々と火が灯り、テーブルにはご馳走がズラリと並んでいます。寒さに震え、飢えと渇きに苦しむキリギリスは恥を忍んでアリに助けを乞いました。

しかし、アリに「夏、遊びほうけていたのは君自身じゃないか。今さらそんな虫の良い話はないよ」と冷たく断られ、そのまま悲惨な死を迎えてしまいます。

この寓話で特に注目したい点があります。それは、夏に楽しく過ごしたキリギリスが、冬の寒さに凍えている時、「まぁ、あれだけ遊んだんだから良いか」と思えなかったところです。

テスト前につい読んでしまったマンガの例で言えば、マンガを読んでいる最中は、嫌なテストのことを忘れ、物語に夢中になって楽しんでいます。しかし、読み終えて現実に戻ってきて「しまった!!」となったときに、「マンガが面白かったからいいか」とはなかなか思えないですよね。

キリギリスにとっての歌と楽器、テスト前の息抜きのマンガ、どちらもそれ自体は確かに楽しいことだったのです。なのに、「何で遊んでしまったんだろう。バカだった…。出来ることならやり直したい」と後悔に変わってしまう。

本当にやるべきことを後回しにして、目先の楽しみに夢中になってしまうと、楽しいことも最終的に後悔になってしまうことがわかりますね。

人生を後悔するのは最優先すべきことを置き去りにしているから

キリギリスの姿は、「今が楽しければいい」「毎日そこそこ楽しいし、こういう毎日を過ごしていれば人生満足なんじゃないかな」という人生観に待ったをかけてきます。今を楽しんだはずのキリギリスが、その自分の行いを後悔しているからです。人生を後悔しないための大事なヒントがここにあります。重要なのは今が楽しいかどうかということよりも、人生において最優先でするべきことをしているかどうかなんですね。

キリギリスでいえば、やがてやってくる冬の準備が最優先のことでした。それをせずに今を楽しむことだけに夢中になってしまったから後悔したのです。もし冬の準備を先に終わらせていたとしたらどうでしょう。夏に楽しんだ歌も楽器も後悔にはならなかったのではないでしょうか。それどころか、やるべきことを先にすれば、今の楽しみも心から満喫することができるのです。

では、人生で最優先でしなければならないこととは何でしょう。大学生という未来に向かう受験生にとっては受験勉強、社会人という未来に向かう就活生にとっては就職活動となるように、最優先事項は、自分が向かっている未来を見ることでわかります。

では私たちはどこに向かって生きているでしょうか。大学を卒業すると、社会で働きます。そして、結婚したり、子育てをしたり、人生のビッグイベントも何度か経験するでしょう。何十年かすれば、退職して老後を向かえます。さらにその先は?そこには死が待っています。私たちの人生を俯瞰してみると、進む道はそれぞれ違ったとしても最終的には死に向かっているのです。

つまり、人生で何が最優先なのか、何をすれば悔いのない一生になるのかを知るには、死の問題と対峙しなければならないということです。このことは多くの哲学者が指摘していることですが、今回はパスカルをその例としてあげておきたいと思います。

もし人がその生涯の1週間をささげるべきであるならば、全生涯をささげるべきである。

パスカル『パンセ』

この言葉は、「あと1週間の命となった時にしなければならないことこそ、全生涯をささげなければならないことだ」ということです。あなたの命はあと1週間と言われたとき何をすれば悔いがないか、それこそが人生で最も優先してしなければならないことなのです。

ところが、私たちは死と真面目に向き合っているでしょうか。ついつい先延ばしにして、やがて冬が来ることを知りながら、準備をせずに冬を向かえたキリギリスと同じ状態になってしまう人が多いのです。

最優先で人生最大の問題と向き合う

死は必ず来るとわかっていながら、向き合わずに時を過ごしてしまうのか、それには原因があります。死がいつ来るか不確実なため、まだまだ先のことと思って「もっと後でいいか」と先延ばしにしてしまうからです。しかし、私たちはいつか必ず向き合わねばなりません。

数年前に、「100年カレンダー」という1枚の紙に小さな字で100年分のカレンダーを印刷したものが市販され話題になりました。その1枚の紙のどこかに、確実に自分が死ぬ日があります。

『アリとキリギリス』ならば、冬が来るまでに秋という期間があります。しかし、私たちの人生においては、1つの季節を越せるだけの期間があるかどうか保障はありません。今年も、「え、あの人が」と早すぎる死に驚いたニュースがあったと思います。できれば平穏に長生きしたいものですが、残念ながら災害や事故、病気などで突然、命を亡くすこともあります。

まだ先だと思っていたら、突然、冬に突入するのが私たちの人生なのです。そういうことからも、 最優先で死の問題と真面目に向き合う必要があります。暗くて嫌だなと思う人もあるかもしれませんが、人生最大の問題に先に取り組むことは、生を明るくし、一生懸命に生きた人生を悔いのないものにします。

まとめ

童話『アリとキリギリス』には、人生を後悔しないための大事なヒントが書かれています。本当にやるべきことを後回しにして、目先の楽しみに夢中になってしまうと、楽しいことも最終的に後悔になってしまうことがわかります。私たちの人生で最優先でやらなければならないことは、やがて必ずやってくる死の問題と真面目に向き合うことです。死と聞くと暗いイメージがありますが、人生最大の問題に先に取り組むことは、生を明るくし、人生を悔いのないものにします。
生と死について続けて学んでいきましょう!

おすすめの記事