なぜ人命は地球より重い?禁断の問いに迫ってみよう

「命より大切なもの」ってあると思いますか。そんなものあるかなぁと思うかもしれません。今これだけコロナウイルスのことで世界中が対策しているのも、火事場に取り残された人や雪山で遭難した人の救出を行うのも、それだけ命が大事だからでしょう。

ちなみに 山で遭難して民間ヘリでの救助となった場合、料金は1時間あたり46万5000円 だそうです。救助に9時間かかれば、418万5000円です。社会人の年収が1日で消えていくほどの費用がかかります。それでも遭難した人がいたら「金には替えられないから、助けてやってくれ」といくらかかっても命を優先するのではないでしょうか。

では、逆に、あなたを救助するのに、億単位の費用がかかるとなったときに、「どれだけ費用がかかってもいいから私を助けて。私の命には金には替えられない価値があるから」と心の底から思えますか。もし、「そこまでしてもらわなくていいかも…」と迷いが出るとしたら、本当の命の価値をわかっていないのかもしれません。是非今回の記事を読んで命の価値を考えるきっかけにしてください。

目次
・命は地球より重いか、ゴミクズ同然か
・「価値」は「何に使うか」で決まる
・命の使い道、命より大事なものを知るために
・まとめ

命は地球より重いか、ゴミクズ同然か

「人命は地球より重い」とは、かつて航空機のハイジャック事件が起きたときに当時の首相が言った言葉です。ハイジャック犯が日本政府にした要求の1つに、約16億円の身代金がありました。要求に応じなければ、人質となっている乗員乗客を殺害していくというのです。そのとき政府は「一人の命は地球より重い」と身代金を支払うことを決定しました。命には替えられないと判断したのです。

その一方で「命はゴミクズ同然だ」と思ってしまう人もあります。警察庁のホームページでは、毎年、年間自殺者数が発表されます。令和元年のデータでは、昭和53年から令和元年まで42年間の自殺者数の推移を見ることができますが、年間2万人を下回った年は1度もありません。未曾有の大災害であった東日本大震災の死者数が約1万6000人であることを考えれば、この数字がいかに多いかがわかると思います。

痛ましいことですが、毎年毎年、あの震災で亡くなった以上の人が、自ら命を絶っているのです。そのような人の心境を察するに、自分には生きる意味がない、捨てられるだけのゴミクズと何も変わらないと思ってのことでしょう。

一体、人間の命というものは「地球より重い」のが本当なのでしょうか、それとも「ゴミクズ同然」なのでしょうか。この難題に答えを出すには、「価値」が何によって決まるかを知らねばなりません。

「価値」は「何に使うか」で決まる

まず、お金の場合を考えてみましょう。例えば、1万円があったとして、その1万円に満足できるかどうかは何に使うかで決まります。いいなと思った洋服や、最新のスマートフォン、テーマパークの入園料など、1万円をかける価値があると思うものに使うことができれば、使った甲斐があったと思えます。

逆に、特に乗り気のしない強制参加の飲み会代などで、1万円が消えていったらどうでしょう。もっと他に使いたかったな、無駄にしたなという思いにならないでしょうか。
額は同じ1万円でも、何に使うかで、満足できるかどうかが決まるのです。

1日の時間の使い方でも同じことが言えます。 仲間と共通の趣味を楽しんだり、目標達成に向かって前進できたり、思いっきり羽をのばしたりできれば「いやー、我ながら有意義な1日だった」と思えるでしょう。逆に、ダラダラ過ごして気付いたら夜だったという日は、「何やってんだろ」とやるせない気持ちになってしまいます。

一生(命)も同じです。何に費やしたかでその価値が決まります。一生をかけるに値するものを見つけ、それを手にしてこそ価値があったと言えるのではないでしょうか。

平均寿命まで生きられるとして、約80年の時間を私たちは所有しています。その時間を使って、学校にいったり、仕事をしたり、趣味に費やしたりしています。つまり、私たちが日々やっていることは、すべて命と引き換えになっていると言えるのです。

その日々が自分の命以上の価値があるものならば満足できるでしょうし、逆に、こんなことに命を使っていていいのかなという状態ならば、もの足りないまま時間がすぎて、結局、私の人生って何だったのかとむなしく終わることになるかもしれません。

服でも食べ物でも旅行でも、買ってよかった、やってよかったと思えるのは、費やした時間や費用以上に、得るものが大きかったときではないでしょうか。それと同じで、自分の人生満足!となるかどうかは、命より価値のあるものに命を使っているかどうかで決まります。

「なんか変わりばえのしない毎日を繰り返して、気付いたら今年ももう半年が過ぎしまった」「色々やっていたはずだけど、振り返ってみるとすごい楽しいことってあったかな」「なんか毎日がつまらない」「今のままでいいのかなって焦る」という人は、少し立ち止まって命の使い道を考えてみるといいかもしれません。

命の使い道、命より大事なものを知るために

命を何に使えば満足できるのか、使った甲斐があったといえるのか、その答えへの第一歩は、命は有限であるということを知ることです。有限ということを意識すると使い道を真剣に考えるようになるからです。

ドラマなどで、お金持ちの人が洋服店にいって「ここからここまで全部ちょうだい」と棚に置いてある商品を丸ごとお買い上げするシーンを見たことがありますが、お金が使い切れないくらいあれば、「これを買って後悔しないかな」「本当に必要かな」「似合うかな」「満足できるかな」など特に考える必要はありません。

逆に、5000円しか使えないとなったらどうでしょう。 むやみやたらと浪費はしなくなり、買って後悔しないか、本当に必要なものか真剣に考えるのではないでしょうか。また、何に優先して使うかも考えるようになります。

有限の場合 
 1.使い道を真剣に考える
 2.優先順位をつける
 3.優先順位の高いものから使う
 4.余ったら、他のやりたいことにも使う

時間(命)も、同じことです。「まだまだ人生長いなぁ」「今日や明日に死んだりはしないでしょ」と有限であることを意識しないでいると、何に使えば後悔しないか、今の使い道でいいのかをあまり考えなくなってしまいます。

しかし、実際には命は有限です。あと一年、あと一月、あと一週間、あと一日しか生きられないとしたら、今日と同じ時間の使い方をするだろうかと考えてみて、「まずしないな」と思ったなら、本当に有意義な命の使い方ができていないということです。

スティーブ・ジョブズは毎朝鏡に向かって「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やろうと予定していることを本当にやりたいことなのか」と自問自答していたとスピーチで語っています。また、哲学者のパスカルは「あと一週間の命と思って行動しよう。一週間の命を費やすべきならば、そのことに一生を費やすべきだ」と書き残しています。
そうすることで、人生で本当に何を為すべきかが見えてくるからです。

まとめ

私たちは日々、命と引き換えにやりたいことをして、欲しいものを手に入れていますが、本当に満足できるかどうかは何に費やしたかで決まります。では何に使えば、命を使ってよかった、命と引き換えにした甲斐があったといえるのでしょうか。

この問いと向きあい、答えを得ようとするとき、まずは自分の命が有限であることを認識することが大事です。すると、本当に大事なことがわかるようになります。

限りある命を何に使えば「本当に価値のある人生だった」と言えるのか、死生学部では学ぶことができますので、続けて学んでもらいたいと思います。

おすすめの記事