趣味が充実していれば人生も充実するのか?|オモシロお兄さんの学習ノート5

自粛期間も明けて、少しずつ学校でも対面授業が再開されてきました。自粛生活が始まってすぐの頃は、ボクも「ヒマすぎる」「辛い」と1日も早く、もとの生活に戻ることを願っていました。しかし、ふと思ったのです。「こもっている生活も悪くないかもしれない、 だって、1日中、アニメとゲームをしていられるぞ!カッコ、課題さえなければ、カッコとじ」と。

何を隠そう、ボクはオタク。 家の中でできる趣味がある。 常日頃、 「できることなら、アニメとゲームにふけっていたい、なんなら二次元で生活したい」思っている人間なので、今なら、それが実現できるのでは、と思ったわけです。

二次元に限らず、打ち込める趣味を持っている人は、頭の中で、こんな式が成り立っているのではないでしょうか。

趣味に熱中できる時間=人生の充実度

この式が成り立つのかどうかを今回は考えてみたいと思います。

趣味ほど楽しいものはない!

そう、あれは何でもないある秋の日のこと。授業も終わり、三次元キャンパスから一刻も早く二次元世界に戻るため、颯爽とバスに乗り込みました。座席に座り、スマホを触っていると、不思議な看板の画像が、網膜に飛び込んできたのです。
その画像は、ある酒屋さんの看板でした。

  人生ー酒=0

なんだ、この看板!すごい看板だな。「人生ー酒=0」って、人生から酒をとったら、何も残らない、つまり、酒がなかったら人生に何の楽しみも意味もないってことか?
その看板はインパクト抜群で、ボクの記憶に刻まれたのです。

それから数ヶ月、外出自粛が始まり、趣味に没頭し、趣味に熱中できる時間=人生の充実度という式を編み出したときに、ふとこの看板のことを思い出しました。「酒」を「趣味に熱中できる時間」に置き換えたら、同じこと言ってない?

(もとの式)趣味に熱中できる時間=人生の充実度
(移項すると)人生の充実度=趣味に熱中できる時間
(移項すると)人生の充実度ー趣味に熱中できる時間=0

全く同じ式だ!ボクも人生から趣味をとったら、何の楽しみもないと思っていたんだと気付きました。酒か二次元かという中身の違いだけだったんですね。

趣味は楽しいです。これがあるから生きていけるといっても過言ではないほど、毎日の生活に潤いを与えてくれます。オタ仲間の中には、ボクの更に上を行く猛者たちが多数あって、食費、睡眠時間、勉強時間を限界ギリギリ...というか、限界突破レベルで削減して、ストイックに「二次元道」を突き進んでいます。まさに、二次元に、お金、体力、時間を、お供えしています。それだけ趣味はボクたちを夢中にさせてくれます。

コロナウィルスが感染拡大して、外出自粛になったときも、ボクたち二次元の求道者が立ち止まることはありません。「一生のうちで、家にこもっていられる今ほど、二次元に打ち込める時期はないのではないか」と、いつも以上に熱心にオタ活をして、趣味に思う存分時間を使い、充実を感じていたのです。「ヒマでやることがない」という嘆きを聞くと、「何ともったいない!今こそ、出来なかったあれもこれもやらないと!」という思いになるほどに。

「人生の充実度は趣味で決まる」と言い切れない理由

楽しい楽しい趣味だから、これが自分の人生を充実させてくれるんだと言う意見はよくわかります。熱中できる趣味を持っている人ほど、趣味ができなくなったら、とても耐えられないと思うのではないでしょうか。ボクたちにとって大事な趣味ですが、それが人生の充実度を決めるんだとは言い切れない理由があります。

1.ずっと趣味をし続けることはできない
2.飽きてしまうことがある

1.ずっと趣味をし続けることはできない

趣味に熱中できる楽しい時間が続いたらいいなと思いますが、人生、趣味だけやっておれるかというとそういうわけには行きません。学校もありますし、試験や課題も乗り越えないといけません。バイトも必要ですし、人間関係がトラブルがあれば手を打たねばなりません。趣味だけやっているわけにはいかないのです。

趣味の時間はこれで終わりですという瞬間が来るのですね。そのときが来たら、セーブボタンを押して、コントローラーを置かねばなりません。楽しい夢のようなひとときは一瞬で終わってしまいます。そして、問題山積みの現実世界に戻っていくのです。趣味は、嫌な現実を忘れさせてくれる現実逃避の手段だと言った哲学者もあります。

現実から逃避させてはくれますが、それは一時的で、ずっと私を充実させ続けてくれるかというと、そうはならないのです。

2.飽きてしまうことがある

ボクたちの心はとても気まぐれです。どんなに気に入っているゲームも、クリアしたところを何度も何度も繰りかえしやっていると飽きがきます。最初は面白いと思った動画も、永遠に見続けることはできません。更新はまだかまだかと、新しい刺激を求め出します。

新しいイベントが始まるぞとなればワクワクしますが、イベントが終わってしまうと刺激がなくなり気持ちがシュンとなってしまいます。そして、次のイベントを待ち望むというのを繰り返しているのです。

私たちの心は飽き性なので、これで満足ということがなく、次、次、次…と、渇きが癒えることがありません

以上の2つの特徴がありますから、「人生の充実度は趣味で決まる」と思っていると大変なことになります。趣味ができなくなったら、趣味に飽きてしまったら、人生は死ぬほどつまらなく、意味がないものになってしまうからです

人生を本当に充実させてくれるものとは?

趣味以上に、自分に充実感を与えてくれるものなんて、思いつかないという人も多いでしょう。それを知るには、自分の命の真の価値がハッキリしないといけません。そして、価値というのは目的で決まると言われます。

例えで考えてみましょう。一生懸命走っている大学生がいます。ランニングフォームは美しく、流れる汗をみると、応援したくなります。箱根駅伝の常連校のジャージを着ています。「あー、箱根に出るために、すべてを捧げて走りこんでいるのだろうな」と予想できます。「箱根のための走り」は、走る価値を感じることができます。

しかし、こんな場合はどうでしょう。同じく一生懸命走っている人がいます。フォームもなかなかきれいです。陸上選手かなと思っていると、その後を警察官が追いかけてくるではありませんか。「待てー、下着ドロボー!」
なんと下着ドロボーが走って逃走していたのか。「警察から逃げる為の走り」に、価値はありませんよね。

一生懸命走っているのは同じですが、何のために走っているかで、価値のある走りか価値のない走りかが決まります。
自分の人生の価値も、何のために生きているかで、本当に充実したものになるか、それともイマイチなものになるかが決まるのです。
人生の充実度は趣味のあるなしや、趣味の内容で決まるのではなく、生きる目的がハッキリしているかどうかで決まるのです。

まとめ

趣味は、私たちの生活に潤いを与えてくれるものです。なので、人生が充実するかどうかは趣味のあるなしや、趣味の内容で決まるのではないかと思っている人もあります。しかし、そうだとすると趣味ができなくなったり、趣味に飽きてしまうと、人生はつまらないものとなってしまいます。

人生の本当の価値は、趣味を楽しめているかどうかで決まるのではありません。生きる目的がハッキリしているかどうかで決まります。その目的とは一体、何なのか続けて学んでいきましょう!

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