学生たちの哲学対話シリーズNo.2|命の価値・前編

「どうせ自分なんて消えたほうがいいっていう友達にどう声かけたらいいのかわからない」「なんで生きねばならないかわからないけど、親に申し訳ないから毎日生きてます」 「最近、痛ましい事件が多い。なんでこんな事件が何度も起きるんだろう…」 そんな声をよく耳にします。

いずれも「命の価値」がわからないところから出ている疑問です。このような問いに答えなんてあるのかなと疑問に思う人もあるかもしれませんが、すでに先人の知恵の中に答えが出ています。英慈、紗彩、哲平たちの対話を通して、そのポイントを紹介します!

今日の哲学対話
・今日もまた命は捨てられています
・命の価値は平等?トロッコ問題とは
・自動運転車開発の最大の障壁
・犠牲にしていい命と助けねばならない命
・何が「よいこと?」「わるいこと?」

今日もまた命は捨てられています

耳を疑うようなニュースが飛び込んできた。76歳元高級官僚の父親が44歳の息子を刺殺し、自ら出頭し、殺人罪で捕まったという事件である。
僕は七里 英慈。大学2回生だ。この事件をみて、心の中で動揺を隠せないでいた。今日はゼミで集まる日だ。ゼミ室には2回生がすでに2人、集まっていた。友達のじぶん学部の伴野哲平は暇そうにスマホのニュースを眺めている。

もうひとりは山上紗彩さん。しあわせ学部の学生だ。まだ始まるまで時間があるからか、部屋の隅でスマホのゲームをしている。昨年から人気が上昇している歴史上の英雄を召喚し仲間にして戦うゲームに夢中らしい。歴史上の人物がイケメン化してたり、性別が入れ替わってたりでイケメン好きな山上さんは、よくその魅力を語ってくれていた。早めにゼミ室についた僕は、親友の哲平の隣の席について切り出した。

英慈:哲平はさ、人を殺すのはいつだって悪いことだと思う?
哲平:え、いきなり、なにやばい事、言い出すんだよ。
   前から変なやつと思ってたけど、いきなり公園にいって暴れたりしないよな・・?
英慈:そんなことはしないよ。ただ気になる事件があってさ。
   僕はスマホのニュース記事を哲平にみせる。
哲平:ああ、この事件か。。ゲームに30万も課金してた引きこもりで家庭内暴力を
   奮っていた息子と口論になって、殺してしまったって話だったろ。
   あれは悲惨な事件だったな。
英慈:いたたまれないよね。運動会の子供がうるさい、オレがいって殺してやると
   言い出して、暴力を振るう子供。親として自分が暴力を振るわれるのも
   耐え難いけど全く罪のない子どもたちを自分の子供が無差別に襲うかもと
   考えたら、とても許せることじゃない。どうしたらよかったんだろう。
哲平:究極の選択ってやつだな。
紗彩:あら、何やらずいぶん物騒な話しているのね。
   ひょっとして君たちも何か事件を起こそうとか考えないよね。

いつの間にか、ゲームを終えていた山上さんが後ろから声をかけてきた。

哲平:そんな、滅相もないよ!
紗彩:残念。もしそうならお巡りさん!ここにやばい2人組がいますって
   通報するところだったのに。
英慈:通報って。山上さん、なにげにこわい事いうね。変態紳士なクマを通報する
   ウサギをおもいだしちゃったよ。
紗彩:あ、わかった?そのネタ(笑)

アニメ好きな山上さんもこの手のサブカルネタはのりがいい。

命の価値は平等?トロッコ問題とは

紗彩:この手の話題って、トロッコ問題っていって私のやっているゲームの中にも
   よくこういうシチュエーションが出てくるのよ。

世界を救うために戦う主人公の前には、いろいろと無理難題が出てきて、そのたびに究極の選択を迫られるらしい。自分の好きな女の子が目の前で化け物になり、自分がまだ人間のうちに、殺して…と迫る。とてもできないと逃げ出した結果。村全体が化け物化して、証拠隠滅のために村ごと焼かれてしまう。

紗彩:そんな中にこんなシチュエーションがあったわ。自分の親が化け物を生み出す薬を
   研究していた。反省せずにさらに被害を出そうとしている。このままだとまた
   罪もない市民が犠牲になる…
   こんなシチュエーションならあなたたちはどうするかしら?
英慈:それは…きついな…
哲平:なんとか親を説得できないのか?
紗彩:それは無理よ。研究一筋でそれこそが崇高な目的なんだと思い込んでいるから。
英慈:じゃあどうしたらいいんだ?
紗彩:親と子は逆だけど、まさにあなたの言ってた子供を殺す親の心理じゃないかしら?

自動運転車開発一番の障壁

先生:何やらゼミ前にすでに「白熱教室」になっているみたいだね。
英慈:あ、先生。もうゼミはじまっちゃいますか?
先生:まだ時間があるからちょっとみんなと話がしてみたくて来たんだよ。

先生はこのゼミの担当教官。倫理学・哲学の准教授。専門は実存主義と東洋思想だ。仏典についても詳しい。自分の話に夢中になってついゼミ時間を延長しちゃうのが玉に瑕だけど。気さくに学生に話しかけてくれて話も面白いのでよく学生の雑談に混じっている。

英慈:そうですか。実はこういう事件から話が始まって…僕は今までの経緯を話をした。
先生:それは難しい問題だね。ちょうど今日話題にしようとしていたトロッコ問題に
   ついてなんだけどね。こんな図はみたことあるかい?

5人が線路上で動けない状態にある。そこにブレーキの聞かないトロッコが向かっていると想像してほしい。あなたはポイントを切り替えてトロッコを別の線路に引き込み、その5人の命を救う、という方法を選択できる。ただしその場合は切り替えた線路上で1人がトロッコにひかれてしまう。
さあ、あなたならどのような選択をするだろうか?

哲平:難しいですが、それは5人を助けるのが正解じゃないですか?
先生:数の論理からいうとそうだろうね。ではこれは?
   「自分の命」v.s.「ほか複数の命」
   自律走行車の「正義」を問うための5つの視点という話があってね。

自動運転車の話。
あなたの乗る自動運転車は信号を無視して飛び出した5人の幼児のすぐ前を走っています。このまま突っ込むと5人を引いてしまいます。

紗彩:あ、このシチュエーション、ニュースでみたことある。幼児の群れにおばあさんの
   運転する車が突っ込んだあの事件みたい…
先生:そうだね。現実でも起こりうるケースだ。あの場合、信号機の問題もあって
   どこに責任の所在があったのか難しい問題であったけど。あれでいうとハンドルを
   操作してたのがAIならどういう判断を下すのが「正しい」AIの判断だろうね。
紗彩:それは5人を助けるべきです!
先生:だが、どうする?
哲平:先生、某カートゲームみたいにジャンプするというのはどうですか?
先生:さすがにその機能がつくにはあと100年はかかるんじゃないかな。今の技術で
   5人を助けようと思ったら急ハンドルを切って壁に激突して無理にでも止めないと
   止まらないよ。
哲平:えっそれってもしかして!!
先生:そう、自殺的行為だ。園児5人は助かるだろうが、車に乗っている人はただでは
   すまないだろうね。
英慈:そんな…
先生:哲平君、先程5人を助けるためには1人犠牲はしょうがないと答えたが
   これはどうかな?
哲平:自分が死んでしまうような車はイヤです。
先生:そうだろう。歩行者を守るため、運転者を犠牲にするシステムの自動運転車なんて
   買って、自分の大切な人を乗せようという人はまずいないんじゃないかな。
紗彩:そうですよね。自分の家族や恋人を犠牲にしちゃうような車なんて…
先生:なので販売会社としては乗る人の命を最大限に活かすシステムを導入しています
   と謳うだろうね。ではその結果5人を轢き殺すような車を「最適なシステムだ」
   と、みなは思うだろうか?
英慈:それは…
先生:実はね、今自動運転車開発の1番の壁はセンサーなどの技術的な問題ではなくて、
   自動運転者の「トロッコ問題」など倫理的な問題の解決だとMITメディアラボ
   所長の伊藤穰一さんも論じてる。今日話そうと思ったゼミの資料の1冊だけどね。
   NHK出版の『教養としてのテクノロジー』という本だよ。
先生:AIは瞬時に判断を下さなくてはいけない。守るべき命がどちらなのかを。
   君たちはどうプログラムする?
老人と子供ならどちらを?
健康な人と障害者ならどちらを?
   何を基準にAIは犠牲にする「命」を峻別すればいいのだろうか?
哲平:…難しい問題、ですね…
英慈:それは、やはり最大多数の最大幸福という観点からすると、より沢山の命を守れる
   基準で設定するしか・・
紗彩:ベンサムの功利主義ね。
哲平:ベッカム?
英慈:それはサッカー選手!同じイギリス人だけどジェレミ・ベンサムという功利主義の
   法律家だよ。最大多数の最大幸福っていうのは、「幸福とは個人的快楽であり、
   社会は個人の総和であるから、最大多数の個人がもちうる最大の快楽こそ、
   人間が目指すべき善である」という考え方のことだね。
先生:ふむ。有名なところ、きたね。確かに理屈からいったらそうだ。
   ではそのAIの判断で起きた悲劇の責任は誰にある??作ったメーカー?
   購入した自分?それとも乗っていた自分の家族?
紗彩:どこにもっていっても難しい話ね…
英慈:だけど、誰かを犠牲にしなきゃいけないならより多くの人のために貢献できる人を
   活かすという観点はどうでしょうか?
哲平:たしかに働けない引きこもり1人より、未来ある子どもたちの生命を守れ。
   死ぬなら子供巻き込むな、の議論もよく出ていたね。

犠牲にしていい命と助けねばならない命の線引

先生:そうすると…もう人の役に立てなくなった人は犠牲にしてもいいのかな?
   こんなニュースもある。

相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害された事件から2年が経った。殺人などの罪で起訴された元職員の植松聖被告(28)は、「重度の障害者は安楽死させた方が善い。自分は社会の為に善いことをしたんだ」という独善的な主張を持ち、凶行に及んだ。逮捕後もこの持論は何も変わっていない。そのなかで平成30年8月、植松被告の手記やマンガなどをまとめた『開けられたパンドラの箱』が創出版より発売された。

紗彩:この事件は悲しい事件でしたね。とても犯人に共感はできませんけども!
先生:そうだね、でもこれは私達にこういう問題を突きつけるんじゃないかな?
   一体誰が、人の命に「死んでもいい命」と「守るべき命」と決めることができる
   のだろうか?と。何が善で、何が悪か?僕らはよくわかっていると普段思っている
   だろう?
英慈:はい、そんなこともわからないようじゃ社会不適合者と思います。

なにが「よいこと?」「わるいこと?」

先生:だが、よく考えると、私たちの考える「善悪」は、本当にもう間違いのない確かな
   ものなのだろうか?
みんな:え?
先生:「善悪の2つ総じてもって存知せざるなり」有名な古典『歎異抄』の一節だよ。
   何がよいことで、何が悪いことか、全くもってわからないという意味だ。
   『歎異抄』といえば、鎌倉時代に活躍した親鸞の言葉が載っている書物だ。
   耳を疑うような言葉だね。
   事件後の犯人を精神鑑定して「責任能力がない」と判断された「精神異常者」の
   言葉なら、それもそうかもねと聞き流されるだろうけど、歴史にも名前が残る
   ような人の言われたこととなると話は別だ。ひょっとして、わかったつもりに
   なっているのは自分たちの自惚れなのだろうか…と思わずにおれなくなってくる。
紗彩:そうです…
哲平:たしかに今までの話を聞いていると単純に数の問題じゃ片付かないなって思えて
   きました。自分はわかったつもりになってたただけだったのかも…
先生:ソクラテスは無知の知といっていたけれどわからないことは悪いことじゃないよ。
   これから学べばいいんだから。最も悪いのは「わかったつもり」になって学ばない
   ことだ。
英慈:それじゃあ、先生、教えてください。何が善で、何が悪なんですか、どうしたら
   それがわかるんですか??
先生:それはね。少数の命、ひいては自分の大切な人の命をも犠牲にしてまで、多くの
   「尊い」命を助ける。それはよいことなのに、釈然としないのはある1つの問いに
   答えを出せていないからなんだ。
   それは、なぜ「生命を助ける」ことが「いいこと」なのか?なんだよ。
英慈:えっ「生かす=よいこと」に理由なんかあるんですか?

                                (後半につづく)

まとめ

命の価値は何で決まるかは難しい問いです。どちらかの命しか救えないとなったら、お年寄りと若者なら、若者を助けますか。才能のある人とない人ならある人が優先ですか。多数と少数なら、少数を犠牲にして多数をとりますか。 人の命に「死んでもいい命」と「守るべき命」を決めることが誰にできるでしょう。この難題に取り組むときにはまず、なぜ「生命を助ける」ことが「いいこと」なのか? 根本の理由を知らなければなりません。次回はその理由に迫りたいと思います。

おすすめの記事