不要不急で塗り固めた「私」本当の私はつまらない存在なの?|オモシロお兄さんの学習ノート4

不要不急の外出自粛の間、みなさん、どうお過ごしでしたか。
わたしの偽らざる心境は…。

ひまだ。それにしてもひまだ。あぁひまだ。

ヒマヒマって思ってくると、虚しくなってくるので、「ヒマだー」って思うの禁止にしてみました。
そこで、手始めに、松尾芭蕉が現代にきて、一句詠んだとしたら?と自分に課題を出してみました。我ながら、いいお題だな、ふむ!
意気揚々と、令和の芭蕉になりきり、一句詠みました。
芭蕉と言えば…松島!
まずヒマや あぁまずヒマや まずヒマや …涙
令和の芭蕉、あっけなく撃沈し、心の中はまたもヒマヒマ菌にやられるのでした・・・。

不要不急な外出を控えたら、外に出る用事が何もなかったぞ?
ということは…?
わたしは重要で緊急なことを何もしていなかったということに。これでいいんだっけ?というモヤモヤした思いに迫っていきたいと思います!

目次
・ヒマになると忙しくなりたがる?
・実は不要不急なことしかしてなかった?
・不要不急を取り去ると私には何が残る?

ヒマになると忙しくなりたがる?

ヒマヒマ菌にやられないために、なにか、いい暇つぶしはないものか…。 知恵袋先生に聞いてみよう! ふむふむ。なるほど。掃除か。ありだな。
部屋に汚れはないか~?
自宅警備をしていたら、窓に汚れが。ふきふき。
ん?網戸が破れている!よし、張替えよう。
ぬぁ!?サッシが泥だらけだ!雑巾、雑巾。ふきふき、ふきふき。ああ、忙しい。
やっぱ忙しいっていいな。

ん?待てよ。忙しいっていいな?
コロナ前まで、バイトやらテスト勉強やら就活準備で忙しすぎ!自由時間欲しい~!って言ってなかったか?
忙しいのイヤだったはずなのに、いざヒマになると、こんどはヒマがイヤになっている。せっかくヒマになったのに、ヒマになったら今度はどうしたら忙しくなるか悩んでる。
あれ?矛盾してない?

実は不要不急なことしかしてなかった?

ちょっと、考えてみよう。4月5月は、不要不急の外出自粛ってなりました。不要で、不急なことはしちゃダメ。重要で緊急なことだけしていい。
あれ?おれ、ずっと家にいる…。外出するような重要で緊急なことがないぞ…。
ひょっとして、これまで自分は、不要で不急なことしかしてこなかったということ?重要で緊急なこと、まったくしてこなかったということ?え~ショック!!これまで何してたんだろう。

不要不急を取り去ると私には何が残る?

実はそんな不要不急なことで塗り固めたのが私だっただなんて。じゃあ、不要不急なことをすべて取り去った私は、いったい何なのだろう?

そこには、ヒマでヒマで、つまらない自分がいました。
これまで、それなりに充実しているように思っていたのは、不要不急なものを貼り付けて、あたかも充実しているかのように装飾していただけなのかもしれません。
装飾を全部ひっぺ剥がした丸裸の私は、つまらなくて仕様がない私だったのです。

あなたなら、何もない、真っ白なキューブ型の部屋に、どれくらいの時間いることができますか?テレビも漫画も音楽プレイヤーもありません。パソコンも、参考書もなに一つありません。自分の身一つです。
俺なら1日でギブかも。いや、1日でもキツイかも…。
不要不急なものが周りになければ、楽しさも充実も何も感じられない自分がいるのです。

日本の三大哲学者の1人、三木清は次のようにいっています。

彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と1つのものである。

三木清『人生論ノート』

幸せといっても、衣服のように脱げてしまうものと、自分の生命と1つのものとがあると指摘しています。本当の幸せというのは、もちろん後者の生命と1つのもの。つまり、不要不急なものが身の周りから一切なくなっても、自分の存在そのものが充実して幸せということだと言っています。 何もない、真っ白なキューブ型の部屋にいたって幸せです。

あれ?となると俺は…。
存在自体が幸せっていえる、そういうものを知らないとダメなのかもしれない。

まとめ

外出自粛で、ヒマだ~、ヒマだ~と俺と同じ状態だったというあなた!
すごいことに気付いたかもしれません!
これまで「何気に充実しているな」「特に不満はないな」と思っていたのは、不要不急なものでしっかりと自分を飾り付けていたからかも。
飾りが全部とっぱらわれて、「つまらん」「ヒマや」となってしまったということは、「自分の存在自体が幸せ」といえるものを知らずにきたのかもしれません。

実は「つまらん」「ヒマ」 なのが自分だったのかと、気付くのは大きな収穫です。これに気付いたら、存在自体が幸せといえるものに目が向きます。「存在自体が幸せ」ってどういうことなのか、じぶん学部で学んでいきましょう!

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